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第16代 アメリカ大統領「エイブラハム・リンカーン」生涯まとめ

誰もが一度は聞いたことがあるだろうし、学校の教科書で目にしたことがある人物。アメリカで最も尊敬される大統領、「エイブラハム・リンカーン」について纏めたいと思います。

大統領というと、裕福な家庭で育って、英才教育を受け…というようなイメージがありましたが、実は、リンカーンは、11歳まで文字が書けなかったんです!

「丸太小屋(9坪)からホワイトハウスまで」と言われるリンカーン。中でも約350万人の奴隷解放は大きな功績です。「人民の、人民による、人民のための統治」と言ったゲティスバーグ演説も有名です。

こちらのウィキペディアで生涯は詳しく書かれているので、僕が印象に残った出来事をシェアします!

エイブラハム・リンカーン - Wikipedia

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9坪の丸太小屋で育った

リンカーンは、トーマス(父)とナンシー(母)の間で1809年2月12日にアメリカのケンタッキー州で生まれました。父トーマスは農場で働いていました。当時の農場は、現在の農家としての仕事よりも、奴隷の監視が多かったのです。

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1816年12月にケンタッキー州からインディアナ州に移住します。8歳だったリンカーンは、学校に行かずに働きました。厳しい寒さと貧しい食事にも必死に耐えました。

リンカーンが9歳の時、実母のナンシーがミルク病で亡くなってしまいます。そして、10歳の時に継母の「サラ」と出会います。このサラによる影響の大きさは後になってわかります。

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この家の中は、ケンタッキー州にある、この博物館に収められています。

www.nps.gov

 

サラはトーマス(実父)と再婚する時には子供がいました。自分の子供と、トーマスの子供(リンカーンら)とも分け隔てなく接してくれたのです。父は農家としての仕事を優先しました。その間に、サラは読み書きを教えてくれたのです。生活は貧しかったけど、心は貧しくなかったようです。

 

19歳の時に見た奴隷市場。少女の涙。

ニューオリンズに訪れた19歳のリンカーンにとって、この出来事は衝撃的だったようです。自由と平等の国といわれながらも、奴隷の価格表があり、人間に値段がつけられている。リンカーンが見たのは、1人の少女。少女が奴隷としてオークションにかけられていました。少女の目には涙が。リンカーンはこの少女を生涯忘れることがなかったようです。この出来事がきっかけで、23歳でイリノイ州の議会議員選挙に立候補しますが落選します。

 

24歳で雑貨店経営

イリノイ州の議会議員選挙に立候補したものの落選したリンカーンは、黒人奴隷解放のためには法律の勉強をすることが近道だと悟ったようで、経営の間にも時間を見つけては法律の勉強をしていたと言います。

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しかし、経営もそんなに簡単にはいきません。雑貨店が倒産し、1,100ドルの借金を抱えます。その後、弁護士の資格を取得し、借金の返済に尽力します。

 

連邦上院議員選挙での票譲りと落選

1846年に連邦下院議員に当選したリンカーン(当時37歳)は、正論を訴えたがために政治生命を失います。その後、連邦上院議員選挙に立候補します。(当時46歳)連邦上院議員は大統領への登竜門を言われていました。

 

そんな、選挙で、奴隷制度について反対派としてあと4票で過半数を超え、当選という状況まで来ましたが第1回目の選挙は終了。第2回目の選挙では、議会内での駆け引きがあり、奴隷制度賛成派の議員に票数が逆転されます。このままいけば、奴隷制度賛成派の議員が過半数を超え、当選確実だった時に、リンカーンはある決断をします。自分の持ち票を同じく奴隷制度反対派の議員(対立政党)にあげたのです。

手書きの図で書くとこんな感じ。下手ですみません。笑

第1回目

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第2回目

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第2回目のリンカーンの決断後

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大統領になることは手段。大統領になってやりたいことがある。(リンカーン

 

その後、大統領候補は暗殺されるという話が出たために有力候補者が次々に辞退していきます。そんな背景もありましたが、51歳の時に共和党の大統領候補に選ばれ、1860年11月6日(52歳の時)に第16第 アメリカ大統領に就任します!

 

1861年3月4日  大統領就任式

そして、30年ぶりに継母のサラと再会します。サラが子供達を分け隔てなく接してくれたことが、リンカーンに大統領になるまでの動機となりました。ニューオリンズの奴隷市場での少女も思い出しながら。

 

1863年11月19日  ゲティスバーグ演説で、「人民の、人民による、人民のための統治」という文章をはじめとする、272語1449文字という約2分間の短いスピーチでしたが、大統領演説の中で、アメリカ独立宣言、アメリカ合衆国憲法と並んでアメリカ史に残る最も有名な演説の1つとして今も語り継がれています。

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1865年4月14日 フォード劇場で「Our American Cousin」という現代劇を見ている最中に襲撃されます。翌日、15日に死去します。

 

まとめ

  • 19歳  黒人強盗に襲われて奴隷市場を初めて見る
  • 23歳  イリノイ州議会議員選挙に落選
  • 24歳  雑貨店経営に失敗し、倒産する
  • 25歳  2度目の州議会議員選挙に当選
  • 33歳  メアリードットと結婚
  • 37歳  連邦下院議員に当選
  • 39歳  正論を訴えたがために政治生命を失う
  • 46歳  連邦上院議員選挙に票を譲り、落選する
  • 51歳  共和党の大統領候補に選ばれる
  • 52歳  第16代 アメリカ大統領に就任

  

椿野唯仁の意見

自分のため(名誉)だけでなく、他の人のために頑張る何がリンカーンを突き動かしたのか。出会った人(継母サラ)や、見た景色(奴隷市場で売買される少女)がその人の人生を大きく変えるんだと思いました。自分は何のために頑張るのか。何を大切にしたいのか、考えさせられました。

今、近くにいる人を大切にしたいと思います。まだまだです。

 

おわり

 

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