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【15年のサッカー人生】椿野唯仁「サッカー史」まとめ

 

 

僕は10歳から25歳までの15年間、サッカーに関わって生きてきました。98年フランスW杯で見たジネディーヌ・ジダンに憧れて始めたサッカー。サッカーが今、奈良シニア大学をやっている自分の基盤になっていることは間違いありません。どのようなサッカー生活だったのか振り返ってみたいと思います・

地元のアカデミーでスタート

最初に始めたのは小学校4年生の時。幼馴染のケンジに誘われて、大阪府高槻市の小さなチームに入りました。(今でいう、アカデミー)ルールとか良く分からないけど兎に角、憧れの選手と同じことをしているのがめちゃくちゃ楽しかったんだと思います。

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奈良の富雄FCでサッカーを本格的に指導

小さなアカデミーではサッカーの試合をやったことがありませんでした。だから、高槻から奈良に引越ししてきて、友人にサッカーを誘われたこともあり、本格的にサッカーを始めました。ポジションはトップ下。憧れのジダン中田英寿がプレーしていたポジションです。小学校5年生の時に、奈良市代表に選出。小学校6年生の時にはトレセンに合格。関西トレセンまで登りつめました。この時が、キャリアとしては最高潮です。今でも、その時の記録が残っています。笑→ (JFA News

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好きすぎて、ジダンの本や中田英寿のDVDを見ました。当時はYouTubeなんて概念がなかったので、このDVDを借りるために何度TSUTAYAに行ったことか。笑

ジネディーヌ・ジダン?フランスの新将軍 世界最高のファンタジスタ? [DVD]

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 中体連でプレー

町クラブでのプレーも考えましたが、勉強もしながらサッカーができる環境をということで、地元の富雄中学校の部活でプレーすることにしました。富雄中学校は奈良県の中体連で県内でも常に上位に位置する強豪だったので、そんなところでプレーしたいということで決めました。中学校は、富雄FC・鳥見FC・富雄第3FCから構成される感じで、それぞれのチームのスタメンの選抜みたいな感じ。キャプテン翼的な感覚でサッカーをやっていました。1年生で3年生の試合にも出させてもらっていたし、3年生の時にはキャプテンもしました。たくさんのタイトルを獲得しました。

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今でもこの時のメンバーとはかなり仲が良くて、先日も集まりました。その様子はこちらから。

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名門・奈良育英高校でプレー

奈良のサッカー強豪校、奈良育英高校へ進学します。特待生として、授業料は免除で進学しました。そういう意味では、サッカーリテラシーは町クラブではない分、衰えていましたが、その他のリテラシーや感性を高めるために、中体連でプレーしていて良かったと思います。

東高時代のサッカーは、自分の実力不足、怪我、モチベーション低下で苦しかった。サッカー観が変わって、後の自分の人生に大きな影響を与えることになったのもこの時期があったからだと思います。Aチームを目指して、全国制覇という野望よりも、徐々に、Bチームでも良いから自分のしたいサッカーができることに魅力を感じました。「皆が描く理想」よりも、「自分の中での理想」を求めることが大切だと感じました。一方で、本気でトッププレーヤーを目指しているJリーグの下部組織や高校と対戦できたことで、自分の位置がわかったのも非常に有益だったと思います。日本のサッカーというものを少しでも知ることができて、良かったかなと。苦しかった時期があったけど、卒業生を含めて、偉大な方々が沢山いるので、そういう人に出会えたこともとても幸運だったと思います。

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当時の記録がwebに上がっています。何も残していないことがわかります。笑

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プレーヤーとしては完全燃焼の大学時代

サッカー選手になる夢を諦めました。でも、サッカーを指導する機会が訪れたのです。詳しくは、こちらから↓

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サッカーを指導し始めた時は、19歳。サッカーをするよりも、教えることの方が難しい、だけど、楽しいって思いました。母校の富雄中学校で外部指導員(スクールサポーター)としてコーチになりました。この経験というのはとても大きかったです。サッカーをプレーヤー(教えられる側)からコーチ(教える側)の全く反対の状況にたつことになったからです。物事の見方が変わって、大袈裟にいうと、世界観が変わりました。

プレーヤーの時は、主語を「自分は」と言いますが、コーチになると主語を「自分たちは」と言わなければなりません。

※ これはまた議論を進めないといけないテーマ「個人と組織」なので後日まとめます。

 

教える自分自身の知識と方法がなかったので、だんだんと精神論になってくるわけですね。でも、それは自分がプレーヤーだった時に1番嫌だったので、反面教師のような形で、猛勉強しました。そんなタイミングで、スペインのバルセロナに行くチャンスが来たのです!

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 オーストラリアで出会ったサッカー

バルセロナで出会った、世界のサッカー。日本だけの価値観じゃ、ダメだと思いました。井の中の蛙になるな!というのは、まさに、このこと。日本がダメというわけではありません。でも、日本にあって世界にないもの、世界にあって日本にないものがサッカーでも沢山存在するんです。サッカーというのを体育という教育で考える思考もあれば、スポーツという競技として捉える思考もあります。そんな相対するものに出会って、感じて、考える作業を繰り返すことで、徐々に本質に近づいて行くんだと思います。

オーストラリアはニューヨークの次に人種のサラダボウルと言われます。だから、色んな人種がいて、それぞれのサッカーがあります。日本にいるとわからなかったけど、本当に国の維持とプライドをかけた試合ってあるんですよね。しかも、指導していた自分のチームでもありました。「あいつは〇〇の国だからパスしない!」ってことがザラにありました。でも、面白いですよ。1つの勝ちで1つになるんです!

それが凄く嬉しくて!大変だったけど、だからこそめちゃくちゃ心を揺さぶられたし、感じるものが大きかったです。(写真と動画で伝わるかと。)

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帰国前最後の試合です。最初は、「英語も話せない日本人に教えられることなんてない」って言われましたが、それでも、最後は、人種やサッカー歴、バックグラウンドの垣根を超えて1つになった瞬間でもありました。最後の試合と知っていた選手がゴール後に駆けつけてくれるシーンを思い出すと今でも涙が出てきます。

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奈良クラブでの指導

偶然、奈良クラブGMをされていた矢部次郎さんに声をかけていただき、ジュニアユースでのカテゴリーを任されることになりました。富雄でも、海外でも、ずっと中学生を対象に指導してきましたが、このチームでの経験は本当に大きかったと思いますし、コーチというものが少しずつ見えてきました。一緒に仕事ができたコーチ陣からは本当に沢山のことを学ばせてもらいましたし、今でもめちゃくちゃ感謝しています。一緒に戦ってくれる先輩コーチがいてくれたからこそ、辛い時期を乗り越えることができましたし、最後に出会った1年生とも充実した時間を過ごすことができました。

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サッカーを教えるためには、サッカーのことを知っているのはもちろんですが、サッカーのこと以外のことをもっと知っておかないといけないと思いました。サッカーから学んだことはここでは書ききれませんが、コーチという立場に勘違いして、自分の小さな世界観だけで特に育成年代は指導していたらダメだなと思いました。(コーチも仕事も掛け持ちしていた背景もあると思います)

僕は記載の通り、大した実力も経験もないので、プロの選手や、実績・ネームバリューがある旬のサッカー人が来たら、押しだるま方式で出て行かなくてはならない現状と、サッカーしか知らない自分の現状を考えて、次のステップに行くことに決めました。奈良クラブは、本当に文字通り、0からJFLまで登りつめた奈良でも稀有なチームです。そんなチームに3年間携わらせてもらって本当に感謝しています。

 

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サッカーを通じて、徐々に成長してきて、今の奈良シニア大学の経営に携わっています。日本のことをもっと勉強して、そして、最終的には世界に日本の良さを伝えていけるようにしたいと思います!

 

おわり

 

 

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