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奈良シニア大学 事務局長が綴る、本と映画と感性と。

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【書評】福田誠治「子供たちに未来の学力をフィンランドの学力観に学べ」その3【ゆとり教育】

前回の記事でもお伝えした日本の教育について僕が確認してみたいことは以下の3つ!

  1. 日本の今の教育は第二次世界大戦後のGHQアメリカ)によってもたらされたものであることに間違いはないか
  2. いつから知識詰め込み型、記憶力測定テストが主流になったのか
  3. ゆとり教育は悪と言われる意味は何なのか(自分はゆとり世代なので。笑)

1つ目と2つ目に関しては、前回の記事である程度解決して、自分では納得したつもり。でも、3つ目の「ゆとり教育」については書くことができなかったので、今回は書きたいと思います。またまたこの本に登場してもらいます。

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ゆとり教育誕生秘話 

1990年代生まれは、「ゆとり教育世代」と言われていますが、元々は、日本企業が海外進出時に産業構造転換と教育(学力)の重要性を痛感したことがきっかけで、新しい学力のために姿勢や態度を評価しよう、答えよりも考え方を重視しよう!ということでもたらされたものだった。所謂、ある種の進歩主義教育(フィンランド型の教育)が行われていたわけです。

しかし、遊ばせているだけで評価できない、先生はもっと働くべきだと言う話になって、もっと詰め込めという発想に逆戻り。ゆとり教育の方向性は良かったものの、海外に模倣して作っただけだったので、中身が詰まっていなかったから潰れたと言えますね。ゆとり教育を受けた僕たち1990年世代は、多世代(特に年上の方々)から「ゆとり」「勉強してなかったんだろ」と言われる始末。でも、僕たちからすると「知らねぇよっ!!」て話なわけです。ある種、僕たちはゆとり教育を受けたものの、評価者がいなくて寂しかったわけなんで被害者なのです。笑

ゆとり教育世代の皆、「ゆとり」から生まれた変人と言われるくらいになろう!

日本の教育で可哀想な先生

前回、前々回にも書いたように、意欲ある先生が可愛そうだなと思います。入り口と出口が雁字搦めになっている管理上、出口での評価が決まるので授業で新しい質の学校や教育をできなくなってしまっている。だから、他人と同じように授業するしかなくなってくる。こんなことでは子供は変えられない。まして、一方向に向かって授業をしていたのに、首相が変われば、授業内容もゴロっと変わる。真面目で意欲ある先生が精神的にしんどくなると良く聞いてはいたものの、やはり、構造的にそうなってしまうことも頷ける。働き方を改革する前に、働き方を改革しようとしている人のマインドを改革した方が良さようですね。

社会に必要とされる学力

元々、PISA(国際学力テスト)の前にTIMSSと言われるテストがあったみたいですが、テスト形式が古かったので、高得点を上げようとすると、大事な本質が損なわれるとOECDは考えたわけですね。

しかも、OECDは、若者の失業率に着目して、こんな分析をしたそうです。

若者の失業率が高い=若者が働くだけの能力が身についていないのでは?

知識の多さ、技能の正確さ、計算のスピードではなく、コミュニケーション力・企画力・想像力・思考力や応用力が必要だと分かった。社会に出て生き抜くためには、計画を持って意識的に自分をコントロールして、物事を長期的に成し遂げていく能力、そのための想像力や学び続ける意欲が極めて重要であることが判明した。

 学んだことが刺激になって、人生の将来の方向が薄っすらと見え、そのためにもますます勉強するというものが本来の学習であるが、今の教育に本来の学習がないし、古い価値観に囚われたままでは、国際社会の中で生き残ってはいけない。

知識を一律に測るのはそもそも難しいし。まして、知識はなくても良いAIが解決してくれる時代。知識を溜め込むのはナンセンス。

日本の知識詰め込み型教育のもう一つの例

岩倉使節団は、大発見をした。

それは、学問を学ぶか学ばないかでその人の値打ちや国づくりが決まるということ。

そこで以下の循環になった。いや、なってしまった。

国民の能力開発大事 → 学校づくり → 国にお金がない → 地域の自費で作る → 追い付き・追い越せで殖産興業・富国強兵 → 外国人雇用で英語の授業もあったが上手に海外の文献を日本語に訳した → 西洋の知識を見事なまでにコピーできた →イギリス200年かかったようなことを日本は50年で完成させた →効率的・結論重視 → 教育的本質が欠けた、結論重視で知識注入型教育が主流

このように、本来の目的が欠如している日本の教育は、加えて、バブル後遺症の失われた10年で、お金を稼いだものだけが勝ち組で、憧れる社会となり、競争が全てという実感を行き渡らせた。負け組は自己責任であり、自業自得なのだと言い出す社会になってしまった以上、その中で教育が「人間が人間として豊かに育つもの」と言えるでしょうか。

勝ち組・負け組」の競争原理の中で、教育がテストの点数向上だけを語り、人間としての成長という面を全く語らなくなった結果、 入試に失敗すると生きる価値が無いと生きることに飽きる人が増えているんだろう。競争原理は、人間のやる気をなくならせ、個人の能力を限定してしまうのでしょう。

まとめ

学力なんて、数ある人間の能力のうち一部に過ぎないと言えるほど、豊かな人間を育てる場所は日本にはないのだとしたら、僕たち奈良シニア大学がそこを目指します。

英米が日本の知識詰め込み型教育を見習ったのであれば、新しいアジア型教育を生み出すことで、競争原理が持ち込まれて頭打ちを食らっているアメリカ教育を日本が引っ張ることができると思います。

時代に合った教育という形を模索しながらこれからも活動していこうと思いました!

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【書評】福田誠治「子供たちに未来の学力をフィンランドの学力観に学べ」その2【日本の教育史】 - YUITOBLOG

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