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芥川龍之介に学ぶエゴイズムの真意。類まれな才能に隠された苦悩の日々。

今日は第2回目のヒューマンヒストリーです!その人物とは、蜘蛛の糸羅生門、河童、地獄変、鼻など、読者から熱烈な支持を得た作品を数々作り上げた作家、芥川龍之介です。芥川龍之介は、人間のエゴイズム(自我)と戦い続けた作家でした。今日は、彼の生涯から何か発見があれば良いなと思い、調べたので、投稿します!

 

芥川龍之介の生涯一覧

今の僕と同じ歳である25歳で既に羅生門と、鼻を書いている。どんな人間で、どんな人生を送ったのだろうと気になったので調べてみました。

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生まれた環境

龍之介は、新原敏三(父)とフク(母)の間に生まれました。しかし、フクの不注意で長女ハツを病死させてしまいます。また、敏三が浮気相手との間に子供が生まれたことでダブルパンチ。フクは極度のノイローゼに陥ります。敏三は経営をしており、日々忙しかったので、極度のノイローゼのフクに龍之介を育てさせるわけにはいかないということで、芥川家(一家全員が文化人)に生後8ヶ月の龍之介を託します。文化人が揃う芥川家で勉強に励んだ結果、小学校前から草双紙を一人で読むことができるほど賢くなったそうです。

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その後、10歳の時に実母フクが亡くなりました。

 

 12歳の時に「芥川龍之介」になる

龍之介が12歳の時、敏三は龍之介の才能を見て後継ぎのために戻るように説得しますが、芥川家にとっても唯一の跡継ぎ。両家は牽制し合います。そんな中、明治37年5月4日東京地方裁判所で判決が確定します。生後の育児が評価された芥川家が勝利。これで正式に養子となり、 芥川龍之介が誕生したのです。「何を信じ、何を頼ったら良いのだろう。自分も運命はどうなってしまうのだろう」という不安や、良い子であればあるほど信頼される養子である立場から、益々勉強に励み、一気にエリート街道を駆け上ることになります。その時の龍之介は、西遊記水滸伝などの「正義が勝つ」という物語が好きだったようです。ヒーローに憧れていたのかもしれません。

 

こんな一文が書き綴られています。

僕は少しでも父と母と一緒にいたいんだ。父や母はただ僕一人を希望に生きているんだ。「旧友芥川龍之介より抜粋」

 

文学と恋に落ちた青春時代

成績優秀の龍之介は、東京府立第一高等学校に入学ました。木曽義仲に憧れたそうです。また、東京帝国大学へ入学します。ドストエフスキーボードレールゲーテを読みあさったそうです。そんな学生時代に、ある女性に恋をします。青山女学院を卒業した、吉田やよいと言う女性です。しかし、新原家の使用人だと言うことで世間体が悪いと養家に言われ、恋を諦めざるを得なくなります。吉原遊郭で鬱憤を晴らそうとしますが、世間体ばかりを重んじる養家の人に打算や身勝手を見てしまった龍之介、やよいを諦めた弱い自分に虚しさが募ります。「なんとか立ち直りたい」という思いが原稿に向かわせました。そこで、名作、「羅生門」を書きます。

羅生門 (小説) - Wikipediaを書くことで、自分の自我(エゴ)を守ったのかもしれないですね。龍之介がエゴイストと言われるのは幼少期からの家庭環境によるものが大きいのかもしれません。

 

エゴイズムとは。

  1. 自分の利益だけ考え、他の人を省みないこと
  2. 確実に存在するものは自我だけであり、自己以外のものを受け入れようとしない

 

その後、芥川家は結婚を見据えて、龍之介に合った女性を探すようになります。そこで、塚本文と言う女性と出会います。 またも養家の言いなりになってしまった龍之介。そこで書いた作品が、「」です。

鼻 (芥川龍之介) - Wikipedia

は、鼻が長いことを気にする僧侶が普通の長さの鼻に憧れて、普通の鼻を手にします。「もう誰も笑われない」と言われたが、笑われて後悔します。結局、元の鼻に戻して落ち着いたという話です。恐らく、他人の目の気にせず自分の意見を貫きたいという思いがあったのでしょう。

 

運命を変えた一通の手紙

芥川龍之介の作品を見たある人物から一通の手紙が届きます。絶賛した長文の手紙の差出人の名前は、夏目漱石です。無名の龍之介を漱石が絶賛したということで広く国民へ知れ渡ります。しかし、田山花袋は反論します。それでも、漱石の後ろ盾は強く、自身を得た龍之介はますます筆のスピードを上げていくのです。しかし、1916年12月9日に漱石がこの世を去ります。漱石が去ったことで自立が不安だった反動として、英雄になりたかった龍之介はある作品を書きます。「地獄変」です。

地獄変 - Wikipediaを書くことで、芸術のためなら愛娘の死も辞さない絵仏師の良秀の覚悟に自分を投影したのでしょう。

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始まった新たな恋。しかし…

塚本文(芥川文)が妻であるにも拘らず、秀しげ子との恋が始まります。しかし、しげ子には別の恋人がいました。しかも、龍之介の友人だったのです。そこで書いたのが、「杜子春(とししゅん)」という作品です。

杜子春 - Wikipediaは、人物の名前です。仙人になるため声を出してはいけない苦行を受ける杜子春は、いかなる修行にも耐え続けますが、最後は、杜子春を思う母の気持ちを知り、「お母さんー!」と叫んでしますのです。仙人にはなれなかったけど、平凡な人生で幸せに暮らしたという話です。普通で良いんだと自分を自分で慰めていたのでしょうか。

 

早すぎる死

訪中の最中に病気が悪化します。体力を奪っただけでなく、ネタ切れになります。しかも、秀しげ子との間に子供が生まれたのです。母を亡くす原因となった父の浮気と自分を重ねると、自分がされたことをそのまましてしまったことに酷く落ち込みます。34歳の時です。こんな文章を残しています。

人生は地獄よりも地獄的である

精神病、睡眠薬、重度の閃輝暗点で吐き気や目眩が襲います。それにも拘らず、自分自身と闘って、恐るべきスピードで書き上げます。しかし、昭和2年7月24日、致死量の睡眠薬を飲んで自殺します。享年35歳でした。

 

遺書

僕は養家の人となり、我儘らしい我儘を言ったことは無かった。

今、僕が自殺するのも一生に一度の我儘なのかもしれない。 

 

息子への遺書

あなた方のお母さんを慈しみ、愛しなさい。愛があるゆえに自分の意思を曲げてはいけない。それがあなた方のお母様を幸せにすることなのだから。

 

まとめ

芥川龍之介は国語の教科書で必ず目にする作品を書いた原稿作家です。類まれな才能は、先天的なものもちろんあったと思いますが、後天的には家庭環境や恋愛関係から、自我(エゴ)と向き合い続けなければならない苦労があってこそのものだったのではないでしょうか。芥川龍之介は、優しくて、人の目を気にするほど心の暖かい人だったのかもしれません。自分を犠牲にして傑作を書き続けた芥川龍之介の文学を学べる今に感謝しなければいけませんね。

 

おわり

 

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